修禅寺彫 松琴

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修禅寺彫とは

松琴の修行時代の写真

 奥伊豆から修善寺にかけては、見事な竹林が多い。竹質の良さにも定評がある。その竹-孟宗竹に彫りをほどこす修禅寺彫は、昭和初期、鍵和田松翠翁によって創始された。 名刹・修禅寺の御加護を受け、門前で彫り仕事を始めたのが最初である。 松翠翁は人間的にも独特の風格のある名人肌で、その作品にも言い難い滋味があった。後年、その精神と技は、娘の松琴に余すところなく受け継がれていった。初代の厳しさに加えて、流麗さと艶を含む、松琴の彫竹の独創性と格調は、やがて、毎日書道展をはじめとする、国内外の展覧会の多くにおいても、高い評価を得ていった。

日本の名物として

 四十年ほども昔の話である。はじめて修善寺温泉の指月殿に詣でた時、お堂の横に小さな屋台を置いて、竹彫りの栞や茶杓などを売っていた。店番らしい少女が竹片に熱心にかなを彫っているので、覗いて見ると高野切三種の手本を傍らに置いて臨刻しているので驚いた。紙上に臨書してもなかなか似せられないものだが、原本の調子をよく捕らえている。思わず声をかけて、その出来栄えを賞した上で、特徴の要点を二三注意してあげると、少女は喜んで、なおいろいろと質問して話が弾んだ。これが後年の松琴女史で、その縁で私の門に学ぶようになった。
 修善寺名物の竹彫りは父君の松翠翁が開祖だが、文字の彫刻、特にかな文字の彫刻は松琴女史の独壇場であろう。この種の彫刻は年季が入ると次第に我流の癖が出て、達者になるほど品位の落ちることが多いものだが、松琴女史の彫刻は年を経るにつれて格調が高くなってゆくのは、文字でも絵でも古典の研鑽を怠らぬからであろう。


(左)「この里に 手鞠つきつつ子供らと 遊ぶ春日は 暮れずともよし」 良寛句
(右)秋草‐万葉の歌   
「夕月夜 こころもしのに しら露の おくこの庭にこほろぎなくも」 湯原王(ゆはらのおおきみ) 万葉集 [巻8-1552]

日本の名物として

松琴先生の彫刻刀が堅い竹の上をすべるように動いて仮名を彫り込むと、柔軟で毛筆の味わいがある。まさしく「竹上颯々の聲」を聞く。
 やはり巻き紙を持って手紙をしたためる姿勢で漢字を刻み込むと、今度は力強い刀意が明瞭な線条となった。尋常な鍛錬ではない。
 般若心経は、家内の祖母三回忌供養としてその後、縁あって頂いたものであるが、その心経は実家にて焚香静坐し毎日拝まれている。拝む対象として久しく掲げさせて頂いているが、その墨蹟というか刀蹟に「厭」がこない。嫌味な書気がない。温かい人柄がにじみ出て拝む者の目を洗い心を洗う、生命あるお経の文字となっている。

(左)阿弥陀如来  (右)般若心経

日本の名物として

 鍵和田松琴さんの修禅寺彫りというのを、私は初めてみた。蘇鉄の実に彫りつけた般若心経の細字が、彼女の肉眼と細刀だけでなされたということに私は吃驚した。そのような可能性があり得ることに驚いたのである。試みに私は、彼女のその刀の運移を見せてもらった。細いくろがねの刀は言わば細筆に変幻し自由自在である。この技法は永年に亘る精進の果てにかち得たものに違いない。鍵和田さんの温厚な人柄の中には、はげしい芸術的精気がこもっている。その精気が独自な作品を生むのだと私は思う。

蘇鉄(そてつ)の実に彫られた般若心経

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